大判例

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札幌地方裁判所 平成4年(わ)607号 判決 1992年10月30日

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中六〇日をこの刑に算入する。

この裁判の確定した日から五年間刑の執行を猶予する。

被告人を執行猶予の期間中保護観察に付する。

訴訟費用は被告人に負担させる。

理由

(犯罪事実)

被告人は、平成四年六月一〇日午前一時過ぎころ、小遣い銭欲しさから、一人歩きの女性を狙っていわゆる「ひったくり」をしようと考え、札幌市<番地略>付近の住宅街を乗用車で徘徊していたところ、同区<番地略>付近の道路で、一人で通行中のT(当時二五歳)を発見した。そこで、被告人は、同日午前二時一〇分ころ、同女からショルダーバッグをひったくることとし、乗用車から降りて同女を追いかけ、同区<番地略>所在の札幌東自動車学校校門前の路上で、同女の背後からいきなり首の前辺りに左腕を回して引きつけ、同女が右肩に掛けていたショルダーバッグの鎖部分を右手でつかんで引っ張った。Tは、とっさにバッグを胸に抱え込み、被告人の暴行を受けてその場に両膝を着いて座り込むような格好となり、「ぎゃー。」などと大声を上げた。このため、被告人は、近くに停車していたタクシーの運転手や付近の住民に気付かれるのを恐れ、両膝が地面に着いたままの状態のTを七、八メートル位引きずり、自分で歩けると言って立ち上がった同女の腕をつかんで右自動車学校の車庫の中まで連行し、これまでの間に同女の髪の毛をつかんだりもしたうえ、なおも大声を出して抵抗する同女の口を手で塞ぎ、車庫の内壁に背中を押しつけるなどした。被告人は、この一連の暴行により、Tを怖がらせて金品を脅し取ろうとしたが、同女の強い抵抗にあったことや同女の両膝から出血しているのを見て驚いたことから、金品を奪い取ることを断念したため、その目的を遂げなかった。その際、右暴行により、同女に約二週間の治療を要する両膝部、両足部挫傷の傷害を負わせた。

(証拠)<省略>

(強盗致傷の訴因に対して恐喝未遂と傷害の事実を認定した理由)

検察官は、被告人の暴行が被害者の反抗を抑圧する程度のものであったことを前提として、強盗致傷を訴因とし、弁護人は、後記のとおり強盗未遂と傷害にとどまる旨主張している。そして、暴行の態様・強度、被告人と被害者との体力差、犯行が行われた日時・場所、被害者の心情(被告人の暴行が被害者の反抗を抑圧する程度のものであったか否かは、客観的に判断されるべきであるが、被害者の心情も、暴行の程度を推認させる一つの情況事実である。)等に照らして、暴行の程度を見ると、検察官の主張にも相当の根拠があることは否定できない。

しかし、裁判所は、前記のとおり強盗致傷の訴因を認定しなかったので、その理由を、関係証拠を総合して説明する。

一  暴行の態様等

1  被告人の暴行の態様は犯罪事実記載のとおりであって、屈強な男性である被告人が、一人歩きの被害女性に対し、後ろからいきなり首の辺りに腕を回して引きつけ、無理やり路上を引きずるなどし、その結果、被害者の着衣のボタンやショルダーバッグの鎖が一部取れてしまったりもしていて、かなり暴行の程度は強いものであった。

2  しかし、

(1) 被告人の最初の暴行は、前記のとおりであって、被害者の発声や呼吸を強く妨げるようなものではなかった(なお、被告人や被害者は、被告人が腕で被害者の首を絞めたなどと供述しているが、被害者が被告人から腕を回された直後に後ろを振り向き、お互いの位置関係が変化したこともあって、被告人の行為は前記の態様のものとなったと認めるのが相当であり、被告人らが、首を絞めたと述べているのもそのことを示していると解される。)。しかも、被告人の暴行は全体としても短時間で終了している。

(2) 道路に座り込んでいた被害者を引きずった行為も、被害者が大声を上げて抵抗したため、犯行の発覚を恐れて人目につきにくい場所に移動しようとしたものであって、直接的には金品奪取に向けられた暴行ではない。

(3) 被告人は、何ら凶器を使用しておらず、殴打、足蹴り等の暴行にも出ていない。

(4) 被害者の負傷は前記の挫傷にとどまり、その抵抗能力・意欲に大きな影響を与えるようなものではなかった。

3  また、本件では、被告人の脅迫行為は訴因にも挙げられていないが、被告人は、大声を上げる被害者に対し「静かにしろ。」と数回言っただけで、金品の要求はもとより他の脅迫的な発言もしていない。

二  犯行の日時・場所

1  本件犯行は午前二時過ぎという深夜に、人通りの少ない道路上や人目につきにくい車庫内で行われている。

2  しかし、同所は、一般住宅、マンション等が密集している地域であり、本件犯行時も、約一〇〇メートル離れた所にタクシーが停車していたほか、他の車も通りかかる等、深夜とはいっても、交通や人通りが全く途絶える状態ではなかった。また、車庫は道路から二四メートル程度しか隔たっておらず、しかも被告人は車庫入り口直近の場所で、前記暴行に出ていた。

三  被害者の心情等

1  被害者は、被害時の心境について、「殺されると思った。」などと、強い恐怖感を抱いた旨を述べている。

2  しかし、被害者が受けた恐怖感には、被告人から突然暴行を受けて驚いたことから過大に感じた部分があることは、被害者のその後の行動に照らしても明らかであって、その全てが被告人の暴行の程度を正確に推認させるものとはいえない。

しかも、被害者は、被告人の暴行に対して、「ぎゃー。」と声を上げて助けを求めたり、被告人の腕を振りほどこうともがくなど、終始抵抗を続けていたほか、被告人に路上を引きずられた際には、「ちゃんと歩くから。」と言って立ち上がり、自らの足で車庫まで歩いている。

また、被害者は、犯行直後も、被告人に対して「何が目的なの。」と問いかけ、被告人が被害者の靴を探しに行ったり、被害者を自宅まで送る旨申し出て車を取りに行ったりした間も、逃げずに待っていたし、その後、自宅まで送ってもらう途中、被告人に「遊ばない。」などと持ちかけたり、立ち寄った公園において、数十分間、被告人と二人だけの車内で、お互いの身の上などについて親しく話をしたりしている。

なお、犯行終了間際の状況について、被害者は、大声を出すこともできなかったと、被告人も、被害者がおとなしくなって抵抗しなくなったので、これで金目の物を奪えると思ったと、それぞれ捜査段階で供述している。しかし、その直後に、被告人は、犯罪事実記載の理由から犯行を断念している。しかも、「強盗」という被告人の言葉で、初めて暴行の意図が金銭を得ることにあることを知った被害者から、「お金ならあげるからこれ以上乱暴しないで。」と言われた際にも、「もうそんなもんはいらん。」と拒否している。とすれば、右のような犯行終了間際の瞬間的な被害者や被告人の行動・心理状態から、直ちに被告人のそれまでの暴行によって被害者の反抗が抑圧されていたと認めるのは相当でない。

四  被告人の犯意

暴行の程度は、前記のとおり客観的に判断されるべきものであるが、被告人の犯意が被告人の暴行への意欲として現れ、被害者の心情に直接・間接に影響を与え、ひいては被告人の暴行の程度に関する評価にも影響を及ぼすことがあり得るので、この点について付言する。

1  被告人は、前記のとおり被害者から何が目的なのと聞かれた際、「強盗」と述べており、公判でも強盗の犯意を認めて、積極的には争っていない。

2  しかし、被告人は、捜査段階で、「金を取る方法として考えたのは、バッグをひったくることで、もしバッグを放さなかったら、脅し文句を言ってやれば恐ろしくなって、抵抗できなくなるだろうから、そうすれば取れる。その場の状況によっては、脅し文句や乱暴をしてバッグを取ることになるかも知れないが、時間が遅く、相手が酔っているかも知れないから、簡単に取れるだろうと考えていた。」(<書証番号略>)、「悲鳴を上げたりしても口を押さえておとなしくさせれば抵抗しなくなるだろう。抵抗できないようにしてからハンドバッグなどを奪い取る。」(<書証番号略>)などといった趣旨の供述をした。公判でも、「当初、後ろから不意にバッグだけを取って反対方向に逃げてしまおうと考えており、怪我までさせるつもりはなかった。」旨述べている。

これらの供述内容に照らすと、被告人が強盗として認識・供述しているものは、いわゆる「ひったくり」の犯行であって、これまで検討した本件における被告人の行動に相応した内容に過ぎず、格別被告人の暴行の程度が前記認定よりも高いものであったと推認させるようなものではない。

五  総合評価

以上を総合すると、被告人の暴行は、前記のとおりかなり程度の強いものではあったが、被害者の反抗を抑圧する程度のものであったとするには、なお合理的な疑問が残るといわざるを得ず、強盗致傷の訴因は認定できない。

結局、被告人は、被害者の反抗を抑圧するに足りない程度の暴行を加えて金品を奪い取ろうとしたが、これができなかった、その際、被害者に前記の傷害を負わせたということに帰するから、本件では、恐喝未遂罪と傷害罪が成立するというべきである。

なお、弁護人は、強盗致傷罪は全体的に見ていわゆる残忍な行為によるものを予定しているとして、本件では被害者の傷害の程度は強盗致傷罪の構成要件の定型性を満たしておらず、強盗未遂罪と傷害罪が成立するにとどまる旨主張する。しかし、弁護人の主張は、独自の見解であるうえ、被告人の暴行が強盗罪にいう暴行の程度に該当しないものであることは、右に述べたとおりであるから、前提を欠くものである。

(適用法条)

罰条

恐喝未遂の点

刑法二五〇条、二四九条一項

傷害の点

刑法二〇四条

観念的競合

刑法五四条一項前段、一〇条(一罪として犯情の重い傷害罪の懲役刑で処断)

未決勾留日数

刑法二一条(六〇日算入)

刑の執行猶予

刑法二五条一項(五年間猶予)

保護観察

刑法二五条の二第一項前段

訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑事情)

一  被告人に不利な事情

本件は、被告人が深夜一人歩きの女性を狙い、乗用車を運転して相手を物色するなど、計画的に行った犯行であり、犯行態様も、突然背後から首の辺りに腕を回して襲いかかり、路上を引きずるなど、強盗にも比すべき危険なものであって、犯情は非常に悪質である。被告人は、小遣い銭欲しさから犯行に及んだもので、動機に酌量の余地はない。

被害者に格別の落ち度はなく、約二週間の治療を要する傷害を負っており、生じた結果も軽くない。

二  被告人に有利な事情

被告人は、被害者の両膝からの出血を見て我に返り、金品を奪い取るのを止めたほか、自ら被害者の傷の手当てに努めている。被告人は、強盗の非行歴こそあるが前科はなく、友人らと飲酒後帰宅する途中にたまたま本件犯行を思いついたもので計画性の程度は特に高いものではなく、しかも右のとおり自ら犯行を断念しているから、被告人の犯罪傾向に強固なものがあるとまではいえない。

被害者に対しては、被害弁償として八万五〇〇〇円が支払われ、被害者自身、わざわざ公判に出廷し、被告人に対して寛大な処分を望む旨述べている。

被告人は、公判で、被害者に対する謝罪の念を表明し、妻と一緒に一からやり直したい旨述べて、反省の態度と更生の意欲を示している。被告人は、以前勤務していた会社に再就職できる見込みがある。

被告人の妻や実姉が、被告人の更生のために協力する旨誓っている。

三  そこで、これらの事情を総合考慮して、被告人に対しては、主文の刑を科したうえ、今回は刑の執行を猶予し、執行猶予の期間中保護観察に付するのが相当であると判断した。

(裁判長裁判官植村立郎 裁判官草間雄一 裁判官栗原正史)

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